地震の際の危険度を地域別に示した地図とは・・・

阪神・淡路大地震が襲ったとき、被害がもっとも大きかったのは私鉄沿線の駅前商店街など、昔ながらの住宅が密集した一帯だった。ローン支払い中のマンションが半壊したり、中途半端な崩壊のため建て直そうにも取り壊し費用のほうが高くつくといったような悲劇もあったか、密集地域は地震に重なる火災の被害が大きかった。

関西をこんな大地震が襲うずっと前から、オオカミ少年のように、「いつか来る、きっと来る」といわれつづけた関東地方だから、東京都では、こうした地震の際の危険を推定して、地域ごとに危険度ランキングをつけた地図がつくられていた。「建物危険度+火災危険度」を合算したもので、1~5のランクに分けたものだ。

東京都を500メートル四方の方眼に区切り、そこにアミ点をのせていき、点の数が多い、つまり色の濃いほど危険度か高いという、一目瞭然のマップである。それによれば、鉄道高架下の飲食街のある駅付近や、古い建造物の多い下町一帯、あるいは地盤が液状化して軟弱な地帯などが、どうしても危険度が高い。

また地盤がいくら硬くても、かえって揺れか速くなるから鉄筋コンクリートづくりの建物だからといって安全ではないといったような、地盤と建造物の種類によって危険度が異なることまで加味して、危険度はランクされている。

こうしたランク図を掲載し、地盤と建物の強度の関係を説明した「あなたの町の地域危険度」という小冊子も発行されているから、一度手に入れてじっくり眺め、日常の生活で何を心がけるべきかを考えるのもいい。それが何よりこの地図の生きた使い方だろう。

— posted by Mapper at 03:34 pm  

朝鮮半島でも「日本海」と「東シナ海」の名称を使っているのか?

日本地図を広げてみれば、日本列島の西側、大陸とのあいだに横たわる海は「日本海」と書かれている。さらに九州から台湾近くまで、ゆるやかなカーブで薩南諸島(さつなん)、奄美諸島(あまみ)、沖縄諸島と横たわってつづく沖縄南西諸島の、大陸側の海が東シナ海だ。さて、世界地図を広げてみると、アジア主要部として日本を含む地図には、やっぱり日本海と東シナ海と表示されている。

この名前が世界共通の名称だからで、日本海は英語で「The Sea of Japan」だし、東シナ海は「The East China Sea」である。ところが1993年(平成5)のこと。国連本部で開かれた第6回地名会議で、韓国と朝鮮民主義人民共和国(北朝鮮)が、これに疑問を投げかけた。

「日本と朝鮮半島のあいだにある海を、一方的に日本海というのはおかしい。植民地主義と関連がある」というのだ。韓国は、この海を「東海」と呼んできたということも紹介し、はじめて南北かそろって会議に出席した2国で意見をそろえたのである。もちろん日本は、国際的に認められたのか「日本海」だと主張した。

いっぽうで、中国も東シナ海という名にこだわりを見せたことがある。中国ではこの海を「東海」と呼んでおり、日本や韓国でもそう呼ぶべきだというのである。しかし、日本から見ても、韓国から見ても、この位置は東ではない。

第一、中国や韓国のいうとおりにしたら、日本の西側の海すべてが「東海」というワケのわからないことになってしまうだろう。それでも、水産関係のフォーラムなどにこれらの国が参加するときは、「環日本海水産国会議」とは呼ばず、「北東アジア地域水産国」と言い換えるなどの工夫は行なわれているようだ。

— posted by Mapper at 02:13 pm  

京都の夏の風物詩「大文字焼き」も地図に描かれているってホント?

京都の夏の風物詩として有名な「大文字送り火」。8月16日、盂蘭盆会(うらぼんえ)のあと、先祖をあの世に送り届ける火として、京都市左京区の大文字山で焚(た)かれる「大」の字の形の火のことである。この「大」の文字は、弘法大師の筆とも、相国寺横川景三の筆ともいわれているが、本当のところはわからない。

大文字焼きの風習そのものは、室町幕府八代将軍足利義政(あしかがよしまさ)が創始したといわれているが、実際には、江戸時代初期にはじまったものらしい。この大文字焼きの「大」の文字は、国土地理院の1万分の1の地形図にも表示されている。

大文字山の大文字焼きだけでなく、8月16日には、「五山送り火」といって、北山の「左大文字」、左京区松ヶ崎付近の「妙法」、右京区上嵯峨の鳥居形、北区西賀茂の船形と、5ヵ所でそれぞれ送り火が焚かれるのだが、それもしっかり地図に掲載されている。京都の地図は、なかなか風流なのだ。

ちなみに、かつて京都では、これらの送り火を鴨川の岸辺で眺め、火が燃えているあいだにソバを一杯食べると、悪事災難を免れるといわれていた。現在では、塗り杯の酒に大文字焼きの火を映して飲むと、悪事災難を免れるといわれている。

— posted by Mapper at 01:40 pm  

全国各地の「小京都」は何を根拠にそう名乗っているのか?

島根県松江市にある津和野町(うつわの)は、幕末まで発達した城下町。山陰の「小京都」とも呼ばれているが、全国にはこの「小京都」を名乗る市町がたくさんある。青森県には弘前市(ひろさき)、岩手県の盛岡市と遠野市(とおの)、秋田県の湯沢市角館町(かくのだて)など、東北だけでもこれだけあるのだ。

山に囲まれた盆地、中央を川が流れていること、道路が碁盤目状に整備されていること、できれば古い民家や寺社が残っていること、そして歴史に裏づけされた生活習慣や伝統、産業が残されていること・・・。

これが「小京都」と、その町が呼ばれることを許される条件だという。山は東山や西山、北山にあたり、川は鴨川に擬せられるわけだ。碁盤目は平安京のいちぱんの特徴だし、古い民家や寺社のしっとりした雰囲気は古都に欠かせないものでもある。早い話が、自然環境と人為的な町づくりとが渾然一体(こんぜんいったい)となっていなければならないということになる。

ただ、現在のようにいろいろな町が小京都を名乗るようになったのは、そう古いことではない。実際に京都を真似して町づくりが行なわれた都市は昔から存在したが、それが注目されたり、観光の目玉になったりすることはなかった。

注目を集めるようになったのは、昭和50年代、当時の国鉄(現JR)が行なった「ディスカバージャパン」のキャンペーンがきっかけだった。日本再発見の旅をしようと、国鉄が大いに宣伝したのである。これをきっかけに「われもわれも」と日本各地で名乗りをあげる都市が出現、1985年(昭和60)には小京都を名乗る市や町で「全国京都会議」が組織されている。

— posted by Mapper at 02:23 pm  

「番地」はどのような順番で並べられているのか?

住所を頼りに他人の家などを訪問しようとしたら、たいがい市区町村別に描かれた市街地図などを頼りに、めざす家を探すことになる。電柱などの「×番地」という表示を見ても目的の番地かどちらにあるのか地図なしではなかなかわからないものだ。

地図で見ても番地のふり方は場所によってマチマチに思えるが何か規則性があるのだろうか?まず住居表示か実施ずみの市街地の場合、番地は一番地から順番に蛇行しながら並んでいる。

町が狭くて家が碁盤(ごばん)の目に近い状態で並んでいるときは、例えば一番南の列の家を東から西に順番に番号をつけ、西の端まできたら、そのすぐ北の家に次の番号をつけて今度は西から東へ・・・というふうに単純に蛇行させる。

町が広くて家が入り組み、単純に番号を蛇行させたのでは具合か悪い場合だと、町をいくつかのブロックに分け、ブロックごとに蛇行させながら番号をふっていく。

番地だけでなく「丁目」も蛇行方式で並んでいる。住居表示未実施地区では、神田神保町(じんぼう)や神田小川町など、あちこちの町で大きな通りの一方に奇数番地、反対側に偶数番地という方式が見られる。

これは戦前に行なわれた町名地番整理によるもので、欧米の番地のつけ方をまねたようだ。なかには規則性らしいものもなく、バラバラに番地が並んでいる地区もあるが、これはどういう順番につけたのか不明である。

— posted by Mapper at 11:18 am