全国各地の「小京都」は何を根拠にそう名乗っているのか?

島根県松江市にある津和野町(うつわの)は、幕末まで発達した城下町。山陰の「小京都」とも呼ばれているが、全国にはこの「小京都」を名乗る市町がたくさんある。青森県には弘前市(ひろさき)、岩手県の盛岡市と遠野市(とおの)、秋田県の湯沢市角館町(かくのだて)など、東北だけでもこれだけあるのだ。

山に囲まれた盆地、中央を川が流れていること、道路が碁盤目状に整備されていること、できれば古い民家や寺社が残っていること、そして歴史に裏づけされた生活習慣や伝統、産業が残されていること・・・。

これが「小京都」と、その町が呼ばれることを許される条件だという。山は東山や西山、北山にあたり、川は鴨川に擬せられるわけだ。碁盤目は平安京のいちぱんの特徴だし、古い民家や寺社のしっとりした雰囲気は古都に欠かせないものでもある。早い話が、自然環境と人為的な町づくりとが渾然一体(こんぜんいったい)となっていなければならないということになる。

ただ、現在のようにいろいろな町が小京都を名乗るようになったのは、そう古いことではない。実際に京都を真似して町づくりが行なわれた都市は昔から存在したが、それが注目されたり、観光の目玉になったりすることはなかった。

注目を集めるようになったのは、昭和50年代、当時の国鉄(現JR)が行なった「ディスカバージャパン」のキャンペーンがきっかけだった。日本再発見の旅をしようと、国鉄が大いに宣伝したのである。これをきっかけに「われもわれも」と日本各地で名乗りをあげる都市が出現、1985年(昭和60)には小京都を名乗る市や町で「全国京都会議」が組織されている。

— posted by Mapper at 02:23 pm